沖縄駆け足3日間(6)

3日目、最終日である。 知念岬近くでグラスボートでの珊瑚礁見物、それから沖縄平和祈念公園、琉球ガラス村、そして最後にひめゆりの塔を回ることになっている。
8時20分に出発し、バスは知念岬方面へ向かう。 所々に畑が広がり、野菜が実っている。 この時期、沖縄は野菜が豊富なのである。 しかし、夏になると日光が強すぎて野菜は実らないので、日本から空輸するのだそうだ。

どのあたりかは分からない(日程表にも記載がない。百名ビーチあたりか?)が、珊瑚のかけらが散らばる砂浜の一角からグラスボートで珊瑚礁に出る。 所々の観光ポイントで船底のガラスの向こうの海中に見入る。 色とりどりの魚や珊瑚など、海の生物を見ることができる。

過去、西表島浦内湾沖の珊瑚礁と、石垣島川平湾沖の珊瑚礁を同じようにグラスボートで見たが、ここの珊瑚礁はちょっと違う。 それは手に届くように浅く間近に珊瑚礁があるかと思えば、いきなり海底が見えないような水深の所もあるのである。 ただ、どこも観光ポイントは珊瑚礁の一部分であり、たまたまそういう場所しか見てこなかっただけということも考えられる。

で、深さは40mぐらいあるそうだが、そのガケのように深くなっていく珊瑚のつながりの中に、もしかしたら多様な生き物を見ることができるかと目を凝らす。 生き物の生態からは何とも言えないが、少なくとも深いところは太陽光線が強くないとよく見えない。 そういう意味では太陽が高い位置にある時間に観覧するほうがよいかもしれない。

気になったこととして、ここの魚たちが餌付けされていたことである。 ポイントにボートを止めると、多数の魚が寄ってくる。 ボートのそばでは餌にありつけることを学習したからであるが、その中に背中に深い傷を負って白い肉が見えているものもいた。 船外機のスクリューにぶつかって切られたことは明白だし、中には寸断された魚もいることだろう。 餌付けしているのはここが初めてである。 これは一種の行き過ぎた観光開発ともいえるだろうか。 餌付けしているところのグラスボートには、ツアーであってももう乗りたくない。

順序は違うが琉球ガラス村について。 28年前に来たときは、コーラビンや醤油ビンなどを再利用して、独特の色合いのガラス工芸品を作っていて、それが琉球ガラスだと聞いた記憶があるのだが、現在はちゃんとしたガラス原料から作っているようで、透明なガラスを土台にカラフルな色付けをした、意匠豊かなガラス製品が作られている。

ガラス原料に事欠いた不自由な時代も過ぎ沖縄も豊かになったんだなと、ある種の感慨を受けた。 反面、では琉球ガラスの特徴は何だろうという疑問もわいてくる。 時代が違うということだろうか、昔あった、ちょっと不純物が混じったような独特の風合いを持った商品は見当たらなかった。
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28年前に買った、ブイを模した貯金箱。 ガラスの中に小さな泡や不純物の黒い粒、色むらもあって、むしろ独特の味わいがある。 貯金箱の中には当時、西表島でとってきた星の砂が入れてある。


沖縄平和祈念公園、摩文仁丘。
太平洋戦争末期に沖縄中部に上陸した米国軍は、本島を南北に分断して侵攻してくる。 人口が多く、かつ日本軍司令部があった南部がより大きな被害をこうむった。 日本軍9万余、アメリカ軍1万余、そして沖縄住民は10万とも12万ともいわれる数の人が犠牲になったといわれる。 なぜこれほどの数の一般民が犠牲にならなければならなかったのか。

本島南部は隆起した珊瑚礁の洞穴が多く、住民たちは避難場所ということでこの南部に移動させられていたが、戦況が不利になった日本軍は逃げるように南下し、住民たちの避難場所を陣取ったり占拠したりした。
このため避難場所だったはずのところが戦場となり、住民たちはさらに危険にさらされることになった。 また日本軍がそばにいるという、一種の管理下(住民にとって内なる敵)にあったという理由もあろう。
アメリカ軍の攻撃で多数の住民が犠牲になり、日本軍壊滅後も、日本に間違った情報を叩き込まれた住民は、手榴弾や、ここ摩文仁丘のガケから飛び降りたりして命を絶った人が多い。

慰霊碑の前で犠牲者の冥福を祈るのもよいが、さらにここでどんなことがあったのか、なぜこのようなことになったのか、そのことを知り、そして考えたい。
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平和の礎(いしじ)、人の命がたった1行になっている。
残念ながら見学する時間がなかったが、今度行った時には公園内にある平和祈念資料館へぜひ行きたい。


そして、ひめゆりの塔。
晴れてまぶしい「沖縄の太陽(てぃだ)」。 薄いけどもセーターと上着では汗ばむくらいであった。 しかしそれに反して心は晴れない。

米軍が沖縄に上陸するころ、ひめゆり学徒と教師 240人は陸軍病院に配属され、以後戦況の悪化とともに、ひめゆり学徒も惨状に巻き込まれた。 
ひめゆりの塔の近くに、ひめゆり平和祈念資料館がある。 生き残った人がわずか5人となるまでの惨状の記録や資料、遺品、そして証言がある。 30分あまりの時間ではとても全部を見て回ることはできなかった。

なお、ひめゆりの塔が有名になる替わりに、健児の塔が忘れ去られたかのようになっている感がある。 学徒動員で軍に組み込まれ、そして犠牲になったおよそ 1800人の慰霊の塔であり、同じ糸満市伊原地区にあるはずである。


立山の塔について
沖縄平和祈念公園摩文仁丘には各県の慰霊の塔が立っている。 我が富山県も「立山の塔」を昭和40年に建立している。 そのモニュメントのデザインが写真のように、何ともアンバランスなのだ。 ガイドさんが「台風か地震で傾いたのですか? ってよく聞かれるんですよ」と言っていた。
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なぜかは、碑文を読むとわかるだろう。 そこには「・・・南方全域における県人戦没者の冥福をいのる・・・」とあり、傾きがフィリピンなどの南方戦場の方角を指しているのである。


沖縄に行ったら沖縄の過去と現在を一度は見ておきたい。 その代表的なものが、首里城であり、沖縄平和祈念公園であり、嘉手納基地である。 そしてこれらが日本と切っても切り離せない関係にあり、かつ、日本人にとってとても耳が痛いことだからである。
そのことを言いたくて書き出したのは良かったけれどボキャ貧なので、いい表現が見つからずにお茶を濁してしまったところが多い。 が、気持ちの熱いうちに番外編も考えようと思う。
たぶんそれが「最も言いたいこと」になると思う。



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